三好監督と作陽
2011年秋に中塚先生と「U-18フットサルの全国大会が必要だ」という話をして、その場から数名のキーパーソンに電話をかけ、そこから一気に2012年の「U-18フットサルトーナメント」開催にたどり着いたのだが、電話をかけた中に作陽高校の野村監督がいた。
野村監督は日本高校選抜の監督をつとめるなど、高校サッカー界を代表する名将だが、二つ返事で協力、すなわちチームの出場を快諾いただき、さらに地域との調整、他地域のチームの紹介など、積極的に協力いただくことになった。
その後、春のU-18フットサルトーナメントに加えて夏にも大会がほしい、という要望を受けて創設した、グリーンアリーナ神戸カップにも毎年チームを派遣してくれており、他の出場チームからは、「作陽と対戦できるから」という声も寄せられている。
第1回大会は地元の神戸国際大附属との決勝を制し、見事に優勝を飾ったが、その主将は神戸のサッカーの顔ともいえる加藤寛さんの第三男の星馬くんだった。
大勢の人たちと協力し、U-18フットサルの大会をつくってきたなかで、作陽も大きな役割を担ってきた仲間だった。
その作陽が、この世代史上最強ともいえる戦いぶりで日本一の座に輝いたのを賀川さんと眺めながら、涙がこぼれそうになるのをこらえていると、優勝監督インタビューで三好達也監督が
関係者の皆さんのおかげで
と言いながら声を詰まらせるのをみて、涙をおさえることができなくなってしまった。
この、関係者のおかげ、というのは言葉だけのことではなく、チームは野村監督の運転で夜通しバスを走らせて仙台から神戸入りし、翌日からのグリーンアリーナ神戸での大会に出場してくれた。三好監督も選手も疲労困憊で、申し訳なく思ったが
優勝できたのも、ここからですから
と言ってくれたのは、まさに大会主催者冥利につきる喜びだった。
野村監督は
普段はほめないんですが、三好がよく勉強していいチームをつくりました
と賀川さんに語っていたが、もともとはサッカーのコーチでフットサルは完全な素人だった三好監督の成長は、作陽にとっても日本のフットサルにとっても大きな収穫と言えるだろう。
2015年夏の作陽はU-18フットサルの頂点を極め、すばらしい歴史をつくった。それは、ぼく個人にとっても誇りに思える歴史だった。
ここから作陽と三好監督はさらなる高みを目指すだろう。
そして他のサッカーチーム、フットサルチームは、彼らをリスペクトしながら、作陽にできるなら、三好さんにできるなら、という思いで新しいチームをつくり上げるだろう。
ぼくたちの仕事はそれに応える環境づくりだ。
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