« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

2015年2月

祝賀会を終えて

2015/02/26(木)

神戸、東京でそれぞれ賀川さん受賞祝賀会が行われた。どちらも大勢の皆さんにお集りいただき、あたたかい親密感に満たされた、すばらしい会になった。

神戸では国際スケート連盟の平松純子さん、東京ではご主人の信夫さんとともに浅田真央ちゃんなどの指導にあたっておられる佐藤久美子さんにご登壇いただいた。賀川さんは「サッカー一筋」と言われるたびに、「昔はサッカーだけでは仕事にならんから、他の取材にも飛び回っていて、特にスケートは選手とも長い付き合いやった」という話をしているが、そんな賀川さんの願いもかなってのお二人の登壇だった。お二方とも「小学生のころからお世話になった」ということで、心のこもったメッセージだった。

今回の受賞の大きなきっかけとなった昨年のブラジルW杯取材でお世話になったセルジオさんには賀川さんからメダルがプレゼントされた。HOME OF FIFAでのブラッター会長との面談の際にプレゼントされたブラッターさんのサインが彫られた記念メダルだ。「このメダルはわしからもらったもんやから、これからもFIFAに対しては辛口でもええよ」というコメント付きだった。

メダル贈呈とならぶこの日のハイライトは、サンケイスポーツで筆を競った北川貞二郎さんのメッセージだった。賀川さんから何度も何度も聴かされてきた名文家「きたがわていじろう」さんと初めてご挨拶させていただいたことも光栄だったが、司会が代読するメッセージはまさに名文だった。多くのカメラを向けられながら立つ二人の背後にいた私はお二人の表情を見ることはできなかったが、最高の同僚であり、ライバルでもあっただろう二人の姿に、この会を開催できてよかったと感じると同時に、いいものを見せていただいたと感激させられた。

会の発起人もつとめていただいた日本ハムの大社さんからは、「いい人のまわりにはいい人があつまる」というお言葉をいただいたが、ほんとうに賀川さんらしい、いい人たちに囲まれた会だった。

改めて、ご協力いただいた皆様に御礼申し上げます。ありがとうございました。

東京オリンピックでの北川貞二郎さんの記事
それについての賀川さんのブログ

10256184_864131453648889_5093887219


固定リンク | 社長の日記 | コメント (0) | トラックバック (0)


泣けなかった授賞式

2015/02/06(金)

皆さんご存知のとおり(?)、すぐに感極まって涙してしまうたちで、今回も

賀川さんが登壇して、トロフィー受け取ったら泣くんやろうな

と思っていた。

12月19日にレターを受け取って、そこからFIFA&JFAとの調整、旅程の確認(当初KLMで予定していたが、エミレーツに変更になった)、ドレスコード(elegant dark suits)にあわせたスーツの準備、授賞式後のドイツへの移動手配(すべてカイ・サワベさんが手配してくださった)、スピーチ原稿の準備などなど、慌ただしく過ごした。

出発の直前まで想定外の出来事があり、逆に関空到着後からチューリヒまではゆったりとした時間を過ごすことができた。到着後は、まさに分刻みのスケジュールで、息つく間がなかった。

そんななかで、賀川さんが自分で持つと言う荷物をひったくるようにして自分で運んだりといった「年寄り扱い」もしたし、多くの皆さんが賀川さんに寄せてくださる好意を交通整理したり、といった少々失礼な役割を演じることも多かった。

前日のリハーサルでも、依然としていくつかの不安はあり、直前まで緊張感いっぱいだったが、いざ登壇してトロフィーを受け取って、という賀川さんの姿を見ると、ひたすら安堵で、涙は全くあふれてこなかった。


帰国後、とにかく準備からずっと多くの人たちがサポートしてくださったことを思い、ほんとうに多くの方々が心から喜んでくれていることを思い、ちょっとウルッと来た。

賀川さんは「こんな歳になって、皆さんに迷惑かけて申し訳ない」と言っているが、こんな迷惑なら大歓迎。サポートしてきた皆さんもサポートできたことを喜んでくださっている。人を喜ばせるということは、やはりすばらしいことだ。

いまも引き続き、多くの取材依頼が舞い込んでおり、皆さんに喜んでいただくため、賀川さんは大忙しだ。

固定リンク | 社長の日記 | コメント (0) | トラックバック (0)


ブラッター会長

2015/02/04(水)


今回の受賞とアジアカップ、そしてイスラム国のテロによって、ヨルダンという国に思いを馳せることになったが、授賞式当日のHOME OF FIFAでの面談でブラッターさんは賀川さんへの授賞について

「あなたに決めてから起こったパリの事件で、あらためて言論の自由の大切さを知った」

と語っていた。

賀川さんとも親交のある英国のライター、ブライアン・グランビルさんは「ブラッター会長は毎日30の新しいアイデアを思いつくが、そのうち31は間違ったものだ、とドイツ人記者が言っている」と書いているそうだが、ぼく自身も、そんなコメントや報道に触れて、もともとブラッターさんに対して好印象は持っていなかった。しかし、賀川さんとのやり取り、そしてその間のぼくたち取り巻きのメンバーに対する気遣いに触れて、コロリとブラッターさんファンになってしまった。

賀川さん授賞と、フランスでのテロのかかわりは、後付けといえば後付けだけども、賀川さんとの面談の際に語られたブラッター会長の言葉からは、深く熱い思いが伝わってきて感激させられた。

さらに授賞式で賀川さん授賞の後、ブラッターさんがフランス語で語り始めると、背後のモニターには、
JE SUIS CHARLIE
という文字が表示された。

ジュスィ・シャルリー、すなわち「私はシャルリー」というのは仏シャルリー紙へのテロに対する市民のスローガンだと、ぼくもこの授賞式で知ったが、こうして賀川さんの受賞がさらに意味深いものになった。

10352822_851867021541999_2617064027


固定リンク | 社長の日記 | コメント (0) | トラックバック (0)


ヨルダン

2015/02/01(日)

最初にブラッターさんからのレターを受け取った時点では、

すごい賞をもらうことになった!

バロンドール授賞式に出席!

と驚かされたが、さらに驚かされたのはWIKIで過去の受賞者をチェックしたときだった。

ファケッティ、ペレ、ベッケンバウアー、ファーガソンという世界最高の名選手たちの名がならび、昨年の受賞者は「トーキョー」と2020年の五輪開催地を発表したIOC会長のロゲさん。毎年何人かに与えられるようなものかな、と思っていたけども、そんなものではない、とんでもない賞だった。

さらに受賞者リストには「ベッカムに恋して」に出演した女優などとともに、Queen Rania of Jordan、ヨルダン王妃ラーニアの名前もあった。

これもWIKIによれば、クウェートでパレスチナ人医師の娘として生まれ、パーティで知り合った現ヨルダン国王・アブドゥッラー2世と結婚。その美貌と知性から中東一の才媛を謳われる、社交界の花形であり、国内外での人気が高く人脈も広いとのこと。

不勉強でこの王妃のことは初めて知ったのだが、その時には「そういえばヨルダンとはアジアカップで対戦するな」というような感想を持っただけだった。過去にも対戦歴のあるヨルダンには今回の大会ではしっかり勝利したわけだが、その後「ヨルダン」という国名を毎日何度も目に、耳にすることになった。イスラム国の日本人人質事件だ。

その報道のなかで、断片的だがヨルダンの情報も発信される。ぼくが目にした限りでは、ヨルダンは親日という程度で、残念ながらラーニア王妃のことは触れられていなかったし、もちろんFIFA会長賞なんて話は全く出てこない。まあ、そんな情報まではありえないのだろうし、トルコ、シリア、イラク、ヨルダンの位置関係はしっかり頭に入ったけども、せっかくだから日本人がこれらの国のことをもう少し知る機会になればよかったのに、と思う。少なくとも、ヨルダンとトルコには今回はずいぶんお世話になったのだろうし。

今のテレビ番組のつくりでは、わずかな新情報をめぐって、コメンテイターが感想や憶測や推測を述べることが主流になるけども、ちゃんとまじめに各国のことを知りましょう、というような番組があってもよかったのに。まあ、ぼくが見てないだけかもしれないですが。

固定リンク | 社長の日記 | コメント (0) | トラックバック (0)


« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »