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2015年1月

バロンドール騒動勃発

2015/01/29(木)

賀川さんが自身のブログ「賀川浩の片言隻句」でバロンドール授賞式でのFIFA会長賞受賞について振り返っている。まるで試合のビデオを見なおしながら試合の記事を書くように、式の様子が伝わってくる。試合の時のようにノートを手にして、というわけにはいかなかったけども、WOWOWが式の様子を放送してくれたおかげで、セレモニーの様子を詳細に振り返ることができるようになったのだ。

その記事を読みながら、ぼくも、自分視点での賀川さんのプレジデンタル・アワード受賞について書いておこうと思い、ここに記すことにする。


12月のある朝、自宅でメールのチェックをしていると、「Letter from President Blatter」というメールが賀川さんのアカウントに入っていた。エドワード・ブラウンさんからのメールには、「ブラッター会長からのメールを添付します」とのことで、12月19日マラケシュ(モロッコ)発のブラッターさんのレターが添付されていた。ここから、バロンドール騒動がはじまった。

賀川さん宅でプリントアウトしたレターを見ながら、「チューリヒは寒いやろうな」ということでその日の気温を確認したら9度で、「寒いから行けない」という言い訳はできないし、6月にはブラジルまで行ったから「遠いから行けない」という言い訳もできない。「行かなしゃーないな」と言う賀川さんは、いつになく気分が高揚しているように見えた。「このあとに、旅費を振り込めってメールが来たらかなり高度な詐欺ですね」とか、さらに軽口をたたきながら、「ドレスコードはタキシードかな」とここからの3週間足らずの準備にすでに頭は切り替わっていた。

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篠田三郎の吉田松陰

2015/01/25(日)

「世に棲む日日」を読んでいる。チューリヒ行きで何か1冊と考えた時、ちょうどNHKの大河ドラマで吉田松陰の妹が主人公になっていることもあって、ちょうどいいかな、と選んだもの。すっかり黄ばんでしまった文庫本は1987年1月15日23刷となっているから、最初にこの本を手に取ったのはぼくが22歳の時だったことになる。

明治維新、大河ドラマといえば、ずいぶん古い話になるが「花神」に熱狂したことを思い出す。この作品のなかで、小学生のぼくが最も思い入れを持って見つめていたのが、中村雅俊による高杉晋作と、篠田三郎演じる吉田松陰だった。昨年に亡くなった友人の残したテキストを整理していたら、同じ作品での篠田三郎のことを書いていたから、作品のなかでの取り上げ方だったのか、あるいはその年代の少年の心に響く何かがあったのだろう。

改めて読み直しながら、やはりこの役は篠田三郎だろう、と確信する。

いまは4巻本の2巻の途中、松陰の死のあたりなのだが、22歳の自分が松陰と晋作の物語に、さぞ興奮しただろうと思いを馳せる。記憶ではもう少し早くに読んだような気がするのだが、高校生のころは周囲の仲間たちのなかで盛り上がっている、たとえば「龍馬」や「三国志」や「村上春樹」に対して、「盛り上がっているならオレも」と後から手を出すのは嫌だというような思いが強かったから、この作品に触れるのも遅くなったのだろう。そういえば、そのおかげで(高校生のころには友人たちがたしなんでいた)タバコにはこの歳になるまでお世話にならずにすんでいる。

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震災から20年

2015/01/18(日)

震災から20年。当時は、あの倒壊した高速道路から徒歩圏内に自宅を含めて5世帯の親戚が住んでおり、3軒が全壊、伯父が亡くなった。それ以来「被災者」という言葉については、自分は被災者側なのだろう、という思いを持っていたが、東北の震災後は、もう自分たちは被災者ではないな、という意識を持つようになった。そして、毎年1月17日を迎えるたびに、手を合わせ、黙祷することはあっても、震災に対してどのように接すればいいのか、居心地の悪さを感じつつ、特に自分から何かのアクションを起こすこともなく20年がすぎた。

昨日は「阪神・淡路大震災20年 1.17チャリティーマッチ」で賀川さんが取材、さらに取材されるということでカバン持ち兼運転手として同行した。さすがに地元というで、多くの皆さんからのおめでとうの声と、私に対しては「ごくろうさん」という声をかけていただいた。また、ヴィッセルの好意でインタビュールームを使わせていただき、帰国報告の会見も行うことができた。多くの賀川さんの後輩記者たちが集まって、あたたかいムードの会見となった。

こうして神戸、そして神戸のサッカーにとって大きな区切りとなる事業に、周辺からとはいえ、賀川さんの受賞というGood newsとともにかかわることができた。記者席で取材を受ける賀川さんと、豪華メンバーが集ったピッチ、そして満員のスタンドを眺めながら、よかったな、と心から思えるひと時だった。

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新年のマイナーチェンジ

2015/01/06(火)

新年を機に、ブログをマイナーチェンジした。

タイトルは、起業当時に「自分はなぜここでこの仕事をするのか」と自問して生まれたもので、15年以上たった今も同じ思いであることを再確認し、ブログのタイトルに。

そしてタイトル画像は中学生以来のユニフォームの背番号。この他にも西ドイツ代表の緑、アメリカ代表の紺と赤、コロンビアの黄など、いろいろとあったが、こうして改めて自分のスポーツ、フットボールとのかかわりの原点に戻るという思いを込めた。

そしてブログの文体を「です・ます」から「だ・である」に変えてみた。2002年にこのブログをスタートした時(当時は「Football's Coming Kobe」というタイトルだった)の自分の記事を読んでみて「このころはまともなことを、しっかりと書いていたな」と感じたからだ。

今年は賀川さんのFIFA PRESIDENTAL AWARD受賞という夢にも見なかった喜びとともに新年を迎えることができた。6月には賀川さんから40年と半年遅れで50歳を迎える。

「50にして天命を知る」というが、果たしてスポーツの感動をつくり伝えていくことが自分の天命なのか。いまさら「間違いでした~」と言われても困るけど。

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