日本サッカーの始祖、中村覚之助
サロン2002では、昨年に和歌山で開催されたシンポジウムに続き、「日本サッカーの始祖、熊野の中村覚之助」と題したシンポジウムを開催します。
以下、理事長の中塚さんからの案内文を転載します。日本サッカーの歴史に興味のある方はぜひご参加を!
2月6日(土)の午後に、シンポジウム「日本サッカーの始祖、熊野の中村覚之助」を企画しています。この人物は、日本で最初のサッカーの本(1903年『アッソシエーション・フットボール』)を編集・出版し、日本で最初のサッカーの対外試合(1904年、東京高等師範学校vs横浜外人倶楽部)を企画・実施された、いわば日本サッカーの始祖とも言える人物です。若くして亡くなったことから、サッカー界でこれまで取り上げられることがあまりありませんでしたが、筑波大学蹴球部同窓会茗友サッカークラブ、日本サッカー史研究会、サロン2002などの団体で、氏の功績を掘り起こそうと、昨年3月の那智勝浦でのシンポジウムに引き続き、今回東京で開催するものです。
詳しくは案内チラシをご覧ください。
また、昨年3月のシンポジウムの様子は、サロン2002のHPでご覧いただけます。
http://www.salon2002.net/monthly/2009/03.html
多くの方に関心を追っていただき、時間の都合がつけばお集まりいただけることを願っております。
参加申込は、案内チラシを用いて、主催の「熊野三山協議会」事務局宛に各自でお願いします。
◆シンポジウム「日本サッカーの始祖、熊野の中村覚之助」
日 時:平成22(2010)年2月6日(土)13:30~16:00
会 場:国立オリンピック記念青少年総合センター・カルチャー棟小ホール
(東京都渋谷区代々木神園町3-1)
参加費:入場料無料(事前申込必要/定員300名)
プログラム:
13:30 開会挨拶
基調報告「熊野の神鳥・八咫烏の由来とねらい」 山本 殖生【熊野三山協議会幹事】
14:00 パネルディスカッション
<パネラー報告>
1)覚之助が世に出た一枚の写真と思い 中村統太郎(中村覚之助の子孫)
2)嘉納治五郎と中村覚之助 真田 久 (筑波大学大学院人間総合科学研究科教授)
3)中村覚之助の中国での足跡 加藤 弘 (和歌山大学教育学部教授)
<パネルディスカッション>
●パネラー 上記報告者3名
●コーディネーター 中塚義実(筑波大学蹴球部同窓会茗友サッカークラブ幹事長、
スポーツ文化研究会サロン2002理事長)
主催:熊野三山協議会
共催:筑波大学蹴球部同窓会茗友サッカークラブ、日本サッカー史研究会、スポーツ文化研究会サロン2002、
後援:財団法人日本サッカー協会(予定)、日本サッカーミュージアム(予定)、横浜カントリーアンドアスレチッククラブ(YC&AC)、ビバ!サッカー研究会、中村覚之助を顕彰する会、和歌山県、熊野三山もてなし推進委員会
固定リンク | 社長の日記 | コメント (0) | トラックバック (0)
コメント