日本サッカー殿堂入りした大谷四郎さんを偲ぶ会を
サロン2002で「サロン関西」として開催することになりました。
ぼく自身にとっても、いろいろと縁の深い大谷さんのことを
こうして改めて多くの皆さんに伝えることができるのは大きな幸せです。
サロン2002については、公式サイトでご確認ください。
http://www.salon2002.net/
以下、サロン2002から発信されている案内文を掲載します。
≪2009年11月 サロン関西案内≫
【日 時】2009年11月26日(木) 19:00~21:00 その後、同会場にて懇親会
【会 場】神戸レガッタアンドアスレチッククラブ (KR & AC)
神戸市中央区八幡通2-1-20 tel: 078-231-2271
http://www.kobe-fa.gr.jp/ground/ground05.html
「三宮」駅から徒歩約7分
※会費は、通常のサロンに準じ1000円とします。
※懇親会は、21:00~22:30 フリードリンク 3500円です。
【テーマ】記者として、サッカー人として 大谷四郎(仮題)
【報告者】賀川浩(サッカーライター)、黒田和生(ヴィッセル神戸)
【概 要】主催:サロン2002、協力:関西クラブユース連盟
今年、日本サッカー殿堂入りした故大谷四郎さんの足跡を振り返ります。
選手としてトップレベルでプレーし、その後生涯一記者として活躍。
日本で初めての「法人格の市民スポーツクラブ」神戸FCの設立に際しては
年齢別の登録を実現し、サッカー協会の年齢別登録制度などにも影響を与えました。
神戸一中、そしてサッカー記者としても後輩にあたる賀川浩さんと、
1971年に神戸FCのコーチとして指導者への道をスタートした黒田和生さんに
スピーカーをお願いしました。
【報告書作成者】未定(立候補してくださると助かります)
【参加申込み】サロン2002オフィシャルサイト<http://www.salon2002.net/>の「月例会案内」からお申し込みください。(会員以外の方は、本多まで直接ご連絡ください)
※参考:
・日本サッカーアーカイブ
http://archive.footballjapan.jp/user/scripts/user/person.php?person_id=47
・兄は社長に、弟は生涯一記者に 日本サッカーの指標となった大谷一二、四郎兄弟
http://library.footballjapan.jp/user/scripts/user/story.php?story_id=770
http://library.footballjapan.jp/user/scripts/user/story.php?story_id=771
http://library.footballjapan.jp/user/scripts/user/story.php?story_id=772
※参考: 大谷四郎・略歴
□1918年(大正7年)
4月23日、神戸市御影に生まれる。
□1925年(大正14年)
4月、御影師範付属小学校に入学、小学生のころからサッカーに親しむ。
□1931年(昭和6年)
9月、神戸一中に入学。サッカー部に入り、3年生からレギュラー。
昭和9年の全国招待大会、同10年の全国中等学校選手権(現・高校選手権)に優勝。
□1936年(昭和11年)
神戸一中卒業。第一高等学校(文科乙類)に入学。
□1939年(昭和14年)
東京帝大(現・東京大学)経済学部に入学。関東大学リーグで昭和16、17年に優勝。
□1942年(昭和17年)
9月、東大卒業、同30日、海軍経理学校に入校。
□1943年(昭和18年)
1月、同校を卒業、海軍主計中尉に任官、戦艦山城に勤務。
7月、第2輸送隊主計長となり、ラバウルヘ。
□1946年(昭和21年)
5月、ラバウルより復員、帰国。大阪商船に勤務。
□1948年(昭和23年)
4月、朝日新聞社に入社、スポーツ記者となる。
□1953年(昭和28年)
国際学生スポーツ週間(現・ユニバーシアード)に日本代表チームのコーチとして参加。
□1954(昭刊29年)
大阪サッカークラブの広報誌のかたちで、サッカーの同人誌というべき、『KICK OFF』創刊。
□1970年(昭和45年)
ワールドカップ・メキシコ大会を取材。
同年、社団法人神戸フットボールクラブを加藤正信ドクターとともに設立。会員登録と日本で初めての年齢別にした。
□1973年(昭和48年)
3月、朝日新聞社を退職、スポーツ記者として執筆活動を続けながら、神戸FCの運営、発展にカを注ぐ。
□1990(平成2年) 11月9日、死去。