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2008年12月

ガンバに今年最後のタイトル

2008/12/28(日)

毎年、年末の仕事納めがJリーグのユースチームの王座決定戦、Jユースカップです。

もう10年以上にわたって、表彰式の演出などを担当させていただいています。

かつての決勝戦のメンバーを見れば、ガンバの宮本、稲本、ジェフの阿部、サンフレッチェの森崎兄弟、柏木、エスパルスの市川などなど、そうそうたるメンバーが名前を連ねています。めずらしいところでは、Fリーグ・デウソン神戸のキャプテンの伊藤雅範は、ヴェルディユースで3年連続決勝に進出し、準優勝2回の後、3年目に稲本、新井場、橋本のガンバを下して優勝を飾っていたりします。

これまで15回の決勝で、10回が長居で行われているのですが、今年はようやくセレッソ大阪が初めて決勝に進出してくれました。さらに、松波率いるガンバとの大阪ダービーとあって、観客も過去最高の6030人。

セレッソは、前半を1点リードで折り返すと後半にも追加点。今シーズンで退任する副島監督が有終の美を飾れるか、と期待が膨らみましたが、ここからガンバが一気に4ゴールを奪い、逆転で勝利を収めました。ガンバの宇佐美くんは、まだ16歳ながら、すばらしいプレーで、さすがガンバユースの最高傑作ともいわれるだけのことはあるなと思わせる活躍でした。

セレッソは、天皇杯、Jリーグでも、あと一歩で優勝に手が届かないという歴史を、ここでも繰り替えしてしまいました。モリシが引退したあと、それにかわる新しい選手たちが優勝して、となれば最高のシナリオだったのですが、この悔しさをバネに彼らが羽ばたいていってくれることを期待したいと思います。

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ぜひ解説者に!

2008/12/25(木)

前回のブログでNON STYLEに触れたら、ぼくのブログとしては過去最高レベルのアクセスがありました。

M-1の影響力、恐るべしです。

NON STYLEではなく、藤崎マーケットが登場したsankei SALの表紙は、初の芸人登場の表紙となったのですが、その次の号では、中村憲剛が表紙を飾ってくれました。

基本的にアーティストorタレントとFリーガーという当初の路線からやや離れてはいるのですが、小野選手との対談の内容も含め、なかなかいい内容になったのでは、と自画自賛しています。

その中村憲剛選手がNHK-BSで放送されていた、アーセナル×リバプールの試合に、ゲストとして出演していました。

現役のJの選手がNHKのプレミアリーグ放送に、というだけで意外だったのですが、さらに意外だったのは、そのコメントがすばらしかったこと。

アナウンサーに的外れな振られ方をして、的外れなコメントをしてしまう解説者も多いなかで、中村選手は、自ら試合の流れや個々のプレーに的確なコメントをしていき、解説の原さんが感心している様子もうかがえました。

おそらく引退後は指導者への道を進むのでしょうが、解説者としても活躍してもらいたい逸材です。

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幻の表紙はNON STYLE

2008/12/23(火)

クラブワールドカップは、ユナイテッド、ガンバの勝利で、試合後のさんまさんも大喜びで、南米が勝利した年と比べると番組的にも盛り上がって大成功だったようですが、残念ながら視聴率は10%程度にとどまり、同時間帯に開催されていた、漫才のM-1グランプリに完敗となったようです。関東で23%、関西地区で35%とはなんとも驚異的な視聴率です。

この報道を見て、

サッカーが漫才に負けた

ということで、少し複雑な心境なのですが、優勝したNON STYLEの名前をみて、さらに複雑な気持ちになっています。

ぼくが編集にかかわっている「sankei SAL」は毎回、Fリーガーとタレント、アーティストなどが表紙を飾ってくれているのですが、今年9月の第6号では、大阪のシュライカー大阪の岸本選手と、よしもとの芸人ということで、キャスティングを行いました。何人かの候補のなかで、元気なスポーツ誌らしいイメージということもあり、藤崎マーケットに登場してもらったのですが、その時に「東京進出もあり、注目ですよ」ということでよしもとから薦められたのが、NON STYLEでした。

藤崎マーケットに登場してもらって、表紙も対談もいいものになったのですが、「オレって先見の明ないな」と感じるM-1グランプリでした。

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世界のガンバになりました

2008/12/20(土)

前回のブログで、マンチェスター・ユナイテッドファンのイングランド人で、現在は大阪在住のガンバファンでもあるベンのことを書いたのですが、ユナイテッドとガンバの夢の対戦は、ベンにとっては、最高のゲームになったようです。

ユナイテッドを本気にさせる、見事な戦いを見せただけでなく、ガンバのサポーターが英国の国営放送BBCのウェブサイトに取り上げられるなどもあり、おそらくイングランド人に対して「あのガンバ」で通じるようになったのは、改めてすごいことだと思います。今日から帰国して、きっとガンバの自慢をしまくるにちがいない。

そして、もしサッカーの神様の気まぐれと、いくつものラッキーがあれば、欧州代表にアジア代表となった日本クラブが勝利することも、何十年かに一度はあるかもしれない、と思わせてくれるゲームでもありました。

そして、ぼくが深くかかわるセレッソから見れば、ガンバは遠くに行ってしまったようにも見えるけど、セレッソだけでなく、すべてのJリーグのクラブにとってあの世界の舞台はそんなに遠くないところにあるような気もしています。そこに行きつくためには、小さなことの積み重ねや、いろいろなことが必要にはなるけども。

試合後の、ベンのブログもぜひ読んでやってください。

ガンバ大阪3、マンチェスター・ユナイテッド5

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至福のジレンマ

2008/12/17(水)

明日、FIFAクラブワールドカップで、ガンバがマンチェスター・ユナイテッドと対戦することになりました。

昨年のミラン×浦和レッズに続き、夢のような対戦が見られることになったわけですが、おそらくこのカードを世界中で最も喜び、複雑に感じているのが、大阪在住のイングランド人、ベン・メイブリー

オックスフォード大学を日本サッカーを題材とした卒論で卒業したベンくんは、その後日本に渡り、現在は日本サッカーアーカイブの翻訳をはじめ、大阪で翻訳者、通訳として活動しています。

生まれ育った町がイングランドの田舎町だったため、かつて巨人が日本中にファンをつかんでいったように、彼はテレビで放映されるマンチェスター・ユナイテッドのファンになったとのこと。

日本に来てからは、地元のガンバの熱烈なサポーターになったのですが、まさか「夢にもみなかった」その2クラブの対戦がタイトルをかけて戦うことになったわけです。

彼が日本語と英語で書き続けてくれているブログの最後の一文が印象的でした。

I cannot wait for Gamba’s chance to make a real impression on football fans back home.
私のガンバが私のユナイテッドと対戦し、私の母国の人にも知ってもらうことは、何よりの喜びである。

仮想のジレンマ
叶った

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来年の課題に

2008/12/16(火)

これまで何度か大学で講義(講演)をしてきたのですが、来年から1年を通して某女子大の大学院で講義をさせていただくことになりそうです。

まだスケジュールなども調整中ですが、非常にありがたい機会を与えてくださった関係者の皆様にまずは感謝です。

ぼく自身は不真面目な(?)学生だったので、そもそも大学院の講義というものがどんなものなのかそもそもイメージがつかめなかったりするのですが、先日、担当していただく准教授とミーティングを行い、大まかな内容が見えてきました。

なにしろ1年間を通じて講義を行うのですから、ぼく自身が本気で、しっかりと踏み込める内容にしようと考え、「スポーツを楽しむということ」を柱にしたいと思っています。

前職の会社(って変な言い方ですね)を設立したときに、自分が本当にやりたい、やろうとしていることは何なのか、ということを突き詰めて考えて、出てきた言葉が、

スポーツのよろこびをつくり、育てていく

でした。

大学院という場を得て、改めて、スポーツの楽しみ、よろこびって何?ということを追求してみたいと思います。

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モリシのゴール

2008/12/10(水)

弊社が運営するサッカーデータベース「賀川サッカーライブラリー」のなかで、ワールドカップ各大会の得点者のリストがあります。

ワールドカップに出場するだけでも大変なことですが、そこでゴールを決めることのできるのはさらに限られた選手ですから、得点者として記録されることはサッカー選手にとっては、最大級の栄誉と言えそうです。ロナウドの通算15ゴールというのは驚異的な数字で、世界的なストライカーでもワールドカップでのゴールは0というのは、少なくありません。日本のゴールをたどってみると、

初出場の98年、ジャマイカ戦での中山のゴールにはじまり、これまで7人によって8ゴールが記録されています。複数ゴールをあげたのは、2002年の稲本のみ。

このなかに、先日引退したモリシの2002年大会でのゴールも含まれています。

誰からも愛される人柄、セレッソ一筋の18年などがまず印象的なモリシですが、世界のサッカーの歴史に永遠に刻まれるこのゴールをサイトで確認して、改めてうれしく、誇らしく感じました。2010年にも9ゴール目以降が記録されていくことを期待しつつ。

賀川さんの記事もアップされています。

対チュニジア2―0モリシ本領発揮のゴール

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最も愛されたプレーヤー

2008/12/08(月)

週末のJリーグ最終戦で、モリシが引退しました。
なんだか、最近は引退のことばかり書いているような気がしますね。

試合は、後半に先制点を奪われながら、逆転勝利をおさめたものの、3位の仙台が勝ったために、J1昇格の望みは絶たれてしまいました。

モリシは後半ロスタイムに登場。試合後のシーズン最終戦のセレモニーの後、引退セレモニーが行われました。

選手たちから背番号にちなんで、8回の胴上げ、そして肩車され、選手のつくった騎馬にかつがれ、観客席に挨拶。さらには、

モリシのゴールが見たい!

コールに促されて、シュートのパフォーマンス。2回はずして、3回目に決めるあたりが、これまたモリシらしかったです。

次には香川のパスをモリシがシュートしたのですが、その香川に8番のユニフォームをプレゼント。移籍の噂が絶えない香川は、果たして来年はセレッソの8番としてプレーしてくれるのでしょうか。

寒波で気温7度という寒さにもかかわらず、スタンドのお客さんも最後までモリシの姿を見届けていました。

ファンからも、選手からも、誰からも愛される稀有な選手だったことが、改めて胸に刻まれるすばらしいシーンの連続でした。

長い間、おつかれさまでした。

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引退しました。

2008/12/01(月)

昭和39年誕生ということで、ぼくより1つ年上の初代新幹線「0系」が昨日で営業を終了したとのこと。

そういえば、今年は野球の清原、桑田、マラソンの高橋尚子などのビッグネームが引退となりましたが、実はぼく自身も、昨日が引退試合でした。

高校卒業以来、所属してきた高校のOBチームの神戸市社会人リーグ今季最終戦で、かれこれ25年近くプレーしてきたチームから引退することにしました。20代のころは、「40歳までプレーする」と言いつつも、現実的には思えず、半ば冗談だったのが、気がついてみればもう43歳です。

昨日も、20歳も年下の後輩に叱咤されながらプレーしながら、長い間、ほんまに幸せやったな、と実感しました。

試合には敗れましたが、試合終了間際のFKのチャンスに、ひさびさに蹴らしてもらってゴールできなかったことが残念でした。あと2回ほどゴール前のチャンスがあったのですが、ボールを止めて、次のプレーに移るスピードと、それにともなう自信、判断という点で、「もう限界」としみじみ感じました。

来季からはシニアチームをつくって、「若手」として、もうすこしプレーしてみようと思っています。

引退といえば、セレッソのモリシこと森島寛晃が12月6日の今シーズンのリーグ最終戦を最後に引退します。

セレッソは、J2で4位につけており、昇格に向けての入れ替え戦対象の3位仙台まで土曜日の時点で4ポイント差でしたが、土曜にセレッソが勝利し、日曜に仙台が敗れたため、仙台と1ポイント差となり、今週末の最終戦まで昇格ののぞみがつながることとなりました。

ちょっと見逃せないゲームとなりそうです。

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