伝わらない熱さ
ブログを書いていると、うれしいコメントを多くいただくのですが、時には手厳しいメッセージもあります。それは内容を理解してくれての、厳しくもありがたいコメントもあれば、意図が伝わっておらず残念に感じることもあります。
中田英寿については、彼のラストゲームとなったドイツでのブラジル戦を現地で観戦し、試合後ピッチに倒れ込んだ姿を生で見たこともあり、また彼がチームのなかで孤立感を深めて行く姿やその前後のコメントに共感や親近感を感じていたこともあり、何度かブログでも書いていました。
たとえば、
http://fcjapan2.seesaa.net/article/11422676.html
http://fcjapan2.seesaa.net/article/20686554.html
いまから読み返してみると、ヒデに対しての共感がきちんと表現できていないな、言葉足らずやな、と反省ですが、そんな日記に、「(ヒデのことを)一生理解できない」というコメントをいただいたことがありました。
http://fcjapan2.seesaa.net/article/20245901.html
ちょうど1年ほど前のことになりますが、正直言って、少々へこみました。
自分自身、
言葉が足りない
何を考えているのかわからない
とよく言われるので、ヒデが感じた「伝わらない」絶望感には親近感を持っていたのに、その気持ち自体を表現することができかったわけです。
実は、先日受けたインタビューの際に、
冷静に見えるのに熱いメッセージですね
という話をしてもらって、その後数人に、「熱くは見えない」という確認をして、それはいかんな、と思っています。
自分自身は熱いものを持っている人間だと思っていて、サッカーの試合をしているときには大声を張り上げて、中高のころには負けても勝っても涙をながして、学生時代のサークルでもミーティング中に泣き出したりの人なのですが、、日常的には冷たいんですね。
ちょうど雑誌「GOETHE」にヒデのインタビューが掲載されたこともあり、
伝えること
それも、熱く伝えることの大切さや、むずかしさを考えるこの数日です。
ちなみに今日は1年以上ぶりの高校の先輩・後輩とのフットサルを、「熱く」楽しみました。2勝1分と結果もよく、気分上々です。
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