自分向けの小説
学生時代にアルバイトしていた、某代理店の大人の方々との飲み会で、「アメリカ文学専攻」という話をしたら、
アメリカに文化はあるのか
という議論をふっかけられたことがありました。文学好きの学生に話をふってやろうということだったのか、きっと議論好きだろうと見込まれたのかわかりませんが、あまり議論好きではない私は、お気に召すような受け答えができなかったような記憶があります。
なぜ、アメリカ文学専攻だったかといえば、アメリカや文学論議や、ましてや文化に興味があったわけではなく、村上春樹とスコット・フィッツジェラルドとレイモンド・チャンドラーが好きだったからでした。
その3人の作家はぼくにとっては「自分向き」の作家で、全作品を読み尽くし、何度か読み返したりしています。そんな二人の代表作を春樹さんが立て続けに翻訳してくれました。
チャンドラーの「ロング・グッバイ」は、かなり分厚い単行本でしたが、読むにつれて読み終わるのが寂しく感じつつ、後半のクライマックスの場面での決め台詞まで一気に読みました。主人公の台詞などは、まさに村上作品そのもの。電車のなかで何度もにやけそうになりながら、春樹さんはほんまにチャンドラー好きなんやろうな、と感じました。そして、ギムレットが飲みたくなりました。
宮部みゆき、浅田次郎、奥田英郎などを読む機会があり、「おもろい!」とは思うけども、「自分向き」だと感じることはなかったので、逆に「ロング・グッバイ」への愛着が強調されて実感できました。
皆さんには、「自分向け」の作家、作品ありますか?
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