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2006年12月

YouTube革命

2006/12/31(日)

10月にはNHK、民放各社や日本音楽著作権協会などの著作権関係権利者の23団体・事業者がYouTubeに対して3万件の動画の削除要請を行ったとのこと。

「YouTube革命」(ソフトバンク親書)では、

 日本のテレビ業界が、動画共有の意義を理解するようになるまでには、まだかなりの年月がかかりそうだ 

として、アメリカ=進んでる、日本=遅れているという単純な図式の結論だけども、YouTubeを認めることは、テレビ、広告業界などが後戻りできない大きな変革に踏み出すことになるわけで、そうそう「進んで」もいられない、というところです。

以前から賀川さんには

試合のポイントになったプレーをヴィジュアルとともに紹介したい

という希望があって、釜本さんのプレーの分解写真を使った著作があったり、ウェブでも図解をいれてきたりしたのですが、試合写真や映像は権利問題があるので、これまで使用することができませんでした。まだ権利的にはグレーな部分が大きいですが、YouTubeを使えば、動画を見せながらプレーを説明することも可能になって来ますね。

11月にはグーグルが16億5000万ドルでYouTubeを買収したそうなので、いよいよ後戻りできない革命が進行するのかもしれません。来年は削除要請や、訴訟や、提携がグーグル、YouTubeを揺さぶり続けるにちがいないです。

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ファイナル!

2006/12/25(月)

クリスマスイブは、大阪でのフットサル、神戸でのサッカーとはしご。

まず朝は「日本フットサル施設連盟選手権大会」の決勝会場である、マグスミノエに。今年からアコムがスポンサーとなったこともあり、会場にはずらりとアコムの横断幕がならんでいました。

スタッフの皆さん、社員の小西、大黒、朝早くからの設営ごくろうさんでした。

全国から強豪が集まっての大会で、第1試合から緊張感みなぎる試合続き。第2試合までで、一通り全チームに目を通して会場を離れることになりましたが、結果は第1試合に登場した関東代表のYAMANOYAが関東同士の対戦となった決勝を制して優勝。第1試合を見たところでは、ちょっと力不足のようにも見えたのですが、1日5試合をこなす大会で、チームの総合力の高さが他を上回ったということでしょう。ぜひPUMACUPでも活躍してもらいたいものです。

午後からは神戸ユニバーで開催されている、Jユースサハラカップの決勝へ。こちらも、進行の仕事で関わっているので、ほんとは朝から行きたいところでしたが、うちの社員の奥村のほか、斎藤氏、松下氏らが朝からがんばってくれました。

会場では、つくせん(兵庫県サッカー協会会長の佃先生)に、

となりで座って見ていき

と声をかけていただいて、来賓席で観戦。

すっかり老紳士となったつくせんですが、試合を見ているときは、

「なにしとんねん!シュートせんかい!」

と、昔とかわらずの1面を確認することができました。

FC東京と広島の決勝は、東京がシュートがバーを叩くなどの、いくつもの決定的なチャンスをつかみながら、少々不運なゴールで先制されてしまいました。試合を決めた広島の2点目はW杯のイタリアの2点目(ジラルディーノ〜デルピエロ)を再現したかのような見事なゴール。試合全体には少々不満も残る内容だったけども、ワールドカップを締めくくるにふさわしい、いいゴールを見せてもらいました。

日本フットサル施設連盟選手権大会
http://fcjapan.co.jp/japan/sensyuken/
「Jユースサハラカップ2006」
http://www.j-league.or.jp/shcup/

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塞翁が馬

2006/12/18(月)

1年の総括はもう少し後にしたいところではありますが、CROSPOの今月のお題が「2006年、こんな年でした!」なので、ひとつこのあたりでまとめてみると、、

まずワールドカップイヤーということで、年初の思いとしてはこんな感じでした。

【プライベート】
なんだか腰の具合悪いけど、早く直してサッカー、ゴルフ

【会社】
ワールドカップイヤー!しっかり儲けるぞ!

そして何より、

   ワールドカップ行くぞ!

しかし、春には腰が悪化し、生まれて初めての入院、手術。会社は5年ぶりの赤字。と、結果的には厳しい1年でした。

腰の手術については、これまでの日記にも書いてきましたが、いろいろな意味で貴重な経験でした。無事に乗り越えることができて、

まあ、今年は41歳=本厄だから仕方ない

と笑ってすませることができましたが、仕事はそういうわけにはいかない。

まず赤字決算については、本当に悔しい。ワールドカップがらみの案件で十分な利益を出せなかったことが大きいのですが、極めて低空飛行ながら、4年間なんとか黒字を続けてきて、社長であるぼく自身に油断や気のゆるみがあったことは事実。

クラマーさんが、

決まらないシュートは、いいシュートではない

という話をされていますが、どんなにいい仕事をしても、利益が出なければ、ということを改めて実感しました。

とはいえ、「赤字事業」であるCROSPOは、いろいろな新しい価値を生み出してくれました。来年は、このサービスで利益を生み出していくこと、少なくとも利益を生み出す仕掛けに役立てていくことを改めて進めていかなければと考えています。これはまた稿を改めて。

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アメフト観戦

2006/12/16(土)

今日は久々にアメフトに行っていきました。関西学生アメフトの入替え戦、1部7位の近大と、中高時代からの友人の福田がヘッドコーチをしている2部1位の甲南大の対戦です。

久しぶりに晴れて、いくぶん暖かいアメフト日和。かつては甲子園や西宮によく観にいったものですが、会場のEXPO FLASH FIELDは初めてです。アメフト専用のスタジアムなんですね。

福田の応援といえば、高校時代の5種競技(近畿2位)や、東京ドームにシルバースター(日本一)の応援に行ったことが思い出されます。今回は、プレーヤーではなく、指導者としてのフクダの応援です。

試合は、2つのタッチダウンを先行し、14ー0でリード。応援席にも「いけるやろ」と安心感が広がりましたが、後半に入るとオフサイドなどのファールや負傷が重なり、流れは一気に近大に。第3クォーターで逆転を許し、そのまま最後まで流れを引き戻すことができないままに28ー24で敗戦。1部昇格はなりませんでした。

う〜ん、残念やった。

学生たちが勝って喜び、負けて涙を流す姿、そして昔からの友人がいまでも現場で闘っている姿はちょっとうらやましかったです。

甲南大学アメリカンフットボール部「RED GANG」
http://www.redgang.com/

関西学生アメリカンフットボール連盟
http://www.kansai-football.jp/

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お祝い

2006/12/10(日)

昨日は、所属チームである、六甲ヒルケルの優勝祝賀会&忘年会。優勝と言っても神戸市リーグ3部なのですが、ようやく若手の参加も増えて、若返りの結果が出たシーズンでした。

個人的には、腰の手術のおかげで1試合だけの参加。その試合は、手術前に「ボールを蹴れるのもこれが最後かもしれない」と思って参加したのですが、幸い手術は成功なので、来年以降も蹴れそうです。

ただ、ヒルケルは若手に譲って、シニアチームでやっていきたいですね。


さて、めでたいといえば、ヴィッセルがJ1昇格を決めました。残り15分ほどは圧倒的に攻められ、何度も決定的なピンチがあり、ただただクリアするだけという凄絶なゲーム内容に、昇降格の重さを改めて感じました。

これで関西はJ1、J2それぞれ2チームずつということになりましたが、再来年は全チームJ1といきたいものです。

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グレート・ギャツビー

2006/12/06(水)

村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」を読みました。宣伝文句は

 村上春樹が人生で巡り会った最もたいせつな小説

で、「構想20年」とのこと。その思い入れは、

翻訳者として、小説家として

と題されたあとがきに30ページ近くにわたって延々と書かれています。ほんとうは60歳になるまで翻訳しないと決めていたのに、我慢できなくなって訳してしまったことなど、言訳がましくてなかなかかわいいです。

ギャツビーは、スコット・フィッツジェラルドの代表作であり、夢と挫折を美しく描いた、アメリカ文学のなかでも最も優れた作品のひとつ。(と、ぼくは信じている)

学生時代、工学部から文学部のアメリカ文学に転部したのも村上春樹と彼が傾倒しているアメリカ文学の影響でした。(工学部のままだったら卒業できなかったという異論もある?)

作品だけでなく、フィッツジェラルドの生き方にも憧れたりしていました。今になってみれば、第1次対戦後のアメリカの繁栄と、当時の日本のバブルが同じようなムードを持っていたようにも思います。

学生時代に読んだときには、

女の子を育てるなら、「かわいいおバカさんに」というくだりが忘れられなかったのだけど、今回は

きれいで、頭の弱い娘

と訳されていました。個人的には「かわいいおバカさん」がいいな。

その他にも、記憶にのこる、うつくしいフレーズが満載です。

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セレゾン神戸始動

2006/12/05(火)

IMG_0759.jpg

来年9月に開幕する日本フットサルリーグに神戸から参戦する、「セレゾン神戸」(仮称)の記者発表が昨日行われました。

選手の決定はまだこれからですが、代表兼総監督の上永吉氏は「8点取られても10点取る、攻撃的なチームを目指す」と強気な発言。

各紙の記者からの質問も活発に行われ、いよいよ開幕に向けての動きを実感する場となりました。今朝の紙面にも早速書いてもらっていて、ありがたいことです。

写真は、兵庫県サッカー協会の佃会長(右はクラブ代表の上永吉氏)。ぼくにとっては中高時代のサッカー部の顧問の先生です。この先生から、

「よろしく頼むよ」

と言われたら、教え子なら断ることはできないはず。いまではどこから見ても穏やかな老紳士ですが、現役時代はほんとにコワい監督でしたからね。


FCJAPAN(と、CROSPO)では、リーグ全体の成功のためにいろいろと手伝いができればと思いますが、なかでもマグ大阪も含めた関西勢2チームを熱くサポートしていきたいと考えています。

現在両チームともチームの愛称募集を行っていますので、ぜひご応募を!

マグ大阪
http://mags.fcjapan.co.jp/name_bosyu.php
セレゾン神戸
http://www.selecao.net/name_entry.html

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アイスバックス初観戦は乱闘劇

2006/12/04(月)

日光と神戸をホームとする日光神戸アイスバックスの、アジアリーグ・長春富奥(中国)戦を観戦。神戸がホームということで応援に行かなければと以前から思っていたのですが、セルジオ越後さんから「ぜひ賀川さんにも観てほしい」ということで、お招きをいただいての、アイスホッケー初観戦となりました。

詳しい経緯は不勉強なのですが、チーム数が減ってしまったからリーグをやめようというのではなく、アジアリーグにして継続していこうという発想は、いいですね。

試合は、格上のアイスバックスが第2ピリオド3-1とリードしたところで乱闘に。

激しい接触プレーが魅力のひとつになっているアイスホッケーには乱闘はつきもの。1対1でやらせて周りは手を出さないという不文律があるようですが、長春
はベンチから全員が飛び出して、アイスバックスの選手を袋だたきにし始めたので、両軍全員が入り乱れての乱闘に。ヘルメットが飛ばされ、シャツが引き裂かれる状況で、

 アイスホッケーはスゴイわ。

と思って観ていたのですが、さすがに関係者の皆さんも、「こんなにひどいのは初めて」とのこと。

CA330006.jpg

2時間近くの中断の後、長春の棄権ということで試合は終了となりました。GK2名が退場、さらに再開後数分は3人で戦わなければならないということで、戦意喪失となったようです。

最後まで観れなかったのは残念だけども、めずらしいものを見ることができました。

試合後、セルジオさんが賀川さんに、

 日本リーグのころのサッカーと同じような状態。

という話をされていました。神戸ということで、まだアイスホッケー初心者の方も多く、スタンドの反応が日本リーグ時代のサッカーのようだ、というだけでなく、関係者がアイスホッケーで儲けるよりは自分で持ち出して支援している状況も似ているということ。

来年開幕のフットサルも当分はそんな状況でしょうね。

最後にセルジオさんが最も強調していたのは、競技を続けていくために、選手自身がスポンサー営業にも走り回っているのが気に入っている、ということ。セカンドキャリアを考えても、すばらしいことですね。

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継続と継承

2006/12/03(日)

Jリーグが終盤に入り、

セレッソとヴィッセルの入替戦は見たくない

と言い続けてきたのですが、セレッソは自動降格、ヴィッセルは入替戦となりました。京都が降格のため、ガンバをのぞく3チームがJ2という可能性もあり、関西のサッカーにとっては、非常に厳しい状況。

セレッソは過去に2度最終戦を首位で迎え、どちらも敗戦で優勝を逃し、その翌年に2部に降格というツラいジンクスを作ってしまいました。昨年の快進撃も「なんで勝続けられるかわからん」という声があったけども、今年も「なんで勝てんのかわからん」と言われ続けながらの降格です。

やはり昨年攻守に大活躍のボランチ、ファビーニョの不在というのが大きいですが、それ以外にもベテランの久藤や布部などを移籍で失っていることも実は痛かったはず。セレッソがこの2年間の浮き沈みをきちんと分析し、これからに繋げていかなければならないことはもちろんだけども、他のクラブ(そして他のスポーツ?)や、指導者も検証するに値する状況ではないでしょうか。

賀川さんが、第二次大戦の後、それまで積み重ねてきた日本サッカーの伝承が途絶えてしまったことをよく残念がっておられますが、今回も同じく「継続」、「継承」の問題のように思います。若手の躍進は大切だけども、ベテランにはベテランならではの仕事がある。

終盤をケガで欠場してしまったセレッソの「ベテラン」モリシは、来年もチームのなかで、最も大切な仕事をしてくれる一人として、昇格を果たしてくれると信じています。

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