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申相玉監督の思い出

2006/04/12(水)

今日の午前中、メーラーを開くと
申監督
というタイトルのメールが何通も届けられていました。

メールは、韓国の映画監督、申相玉がお亡くなりになったことを伝えてくれたもの。

産経新聞のサイトでも、以下のとおり報じられていました。

韓国の映画監督で北朝鮮に拉致された後、脱出した申相玉氏(79)が11日夜、肝不全のためソウルで死去した。申監督は1950年代から数多くの作品を発表してきた韓国映画界の長老で、78年に夫人の女優・崔銀姫さんと共に香港で北朝鮮に拉致されたことで知られる。  申監督夫妻は北朝鮮で映画製作をさせられていたが、86年にオーストリア経由で脱出し帰国した。夫妻の手記『闇からの谺』は日本でも出版され、北朝鮮の権力層の実態などを明らかにしたものとして話題になった。夫妻はまた、拉致が映画製作に関心の強かった金正日総書記の直接指示によるものだったことを明らかにした。
以前にこのブログでも、映画制作のことを書きましたが、申監督は、ぼくを映画の世界に導き、映画に関わる全てを授けてくれた恩師でした。

当時、すでに60歳を超えていたにもかかわらず、映画をつくることに全てを投げ出し、無邪気と言えるほどに真摯に映画に向きあっていた姿が、懐かしいです。洞窟にロケハンに行ったときなど、カメラアングルばかりに気が行って、何度も洞窟に頭をぶつけるのを後ろから必死でかばおうとしながら、「この人は、自分のカラダよりも、ええ映画をつくることが全てやんやな」と思ったものです。

ぼくがアメリカに着いた日のこと。
その日がぼくの誕生日であることを知った監督が、夜に宿まで電話してきてくれて、
「すまなかった、誕生日だということを知らなかった」
と言って、スンドゥブを食べに連れて行ってくれました。
時差ぼけの眠気と、スンドゥブの強烈な辛さと、
日本人であるぼくを、家族同然に受け入れてくれることのうれしさが、思い出されます。

安らかにお休みください。

朝鮮日報の記事はこちらから。

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