前回に引き続き、申監督の思い出。
角川映画が、「蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜」という、チンギス・ハーンをテーマにした映画を制作するとのこと。
そういえば、日経新聞でもチンギス・ハーンが連載中ですね。
ぼくにとっては、チンギス・ハーンは「申監督の夢」。
朝鮮日報には、葬儀の様子や、夫人であり、かつての韓国を代表する女優であった崔銀姫(チェ・ウニ)夫人のコメントなども掲載されており、そのなかで申監督の最後の夢が語られています。
崔銀姫は53年申監督と結婚して以来、人生の伴侶であると同時に同じ映画人として半世紀を共に歩んできた。「申監督は映画しか知らない人」という崔銀姫は「私たち夫婦の人生も映画そのものだったた。映画を取ったら他の生活は考えられない」と声を落とした。 「それでも晩年には旅行に行ったり、楽しい余生を送ろうと言っていたのに、こんな風に逝くなんて」と深い悲しみを表した。 崔銀姫によると、申監督は亡くなる直前まで申監督の芸術の集大成である力作『チンギス・カーン』の構想に余念がなかったという。
ぼく自身が映画の世界に飛び込んだのは、
アメリカでジンギスカンの映画をつくる
という仕事、夢があったから。
ウィーンでアメリカ大使館に逃げ込み、その後ハリウッドで生活していた申監督は、
欧米とアジアのキャスト、スタッフで、ソ連(当時)をロケ地にしてジンギスカンを撮る
という夢に向けて、邁進していたところでした。
ぼくも、幸運にもその夢に巻き込まれたわけですが、
そんなぼくを監督は、
ほんだは、勇敢な奴なんだ。
と評してくれました。
それまでの経歴を捨てて、申監督の懐に飛び込んだことを、そう表現してくれたのだと思いますが、今もその独特な言い回しとともに耳に残っています。
ジンギスカンという作品の夢は叶わず、
いまでは、全く畑違いの仕事をしているのですが、
そのおかげで、アメリカ、東京でダイナミックな仕事が出来たことは、ぼくの大きな財産ですし、
あのチャンスがなければ、いまのぼくはなかったのだろうと思います。
監督は、日本の宣伝のクオリティを高く評価しており、
映画のロゴは日本で作りたいとのことで、コンペを行いました。
そこで、満場一致で選ばれたのが、この筆文字で描かれたロゴです。
作者の真辺さんには、それ以来ずっとお世話になっています。
FCJAPANのロゴ、サイトのデザインをはじめ、
ぼくにとっては、最高に信頼できる、パートナーの一人。
この真辺さんとのお付き合いも、申監督が残してくれた、かけがえのない財産です。