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2006年4月

サンガ、セレッソ、エルゴラ。

2006/04/30(日)

昨日は、長居でのセレッソーサンガ戦。

お互い守り、攻め合って2−2の引き分けでしたが、2万人のお客さんには楽しんでもらえたのではないでしょうか。
賀川さんに言わせれば、

「下位争いでもここまでのゲームができるようになったのだから、Jリーグもたいしたもんや」

とのこと。さすが81歳、視点が違いますね。

サンガは、パープルサンガからサンガに名称変更するんですね。チームカラーが変わったりするのは、チームのアイデンティティにかかわることなので、納得できないですが、今回のチーム名称変更は、さらに親しみやすくなるための手として賛成です。

会場では、5月1日から関西で発売される、「エル・ゴラッソ」のPR版を配布しました。
いよいよ明日発売です。

関西のJR、私鉄、地下鉄の売店で販売するほか、宅配もあります。

編集、販売などで協力していくことになっており、関西のサッカー、フットサル盛り上げに寄与できればと考えています。

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ミラン-バルサ

2006/04/23(日)

欧州のチャンピオンズリーグもいよいよ準決勝。
昨年に続き、ベスト16でバルサ-チェルシーの対戦があり、昨年同様に「事実上の決勝戦」という声もあがるなか、バルサが昨年の雪辱を果たし、準々決勝ではベンフィカを下して、順当に準決勝に進出。サンシーロでの第1戦は、シェフチェンコ、ロナウジーニョのバロンドール対決もあり、他にもタレントを揃えた両チームの対戦とあって、華のあるゲームが期待されました。

バルサは、チェルシー戦で攻め合うのではなく、重いゲーム運びで堅実に勝ち上がりましたが、このミラン戦でも重いゲームを展開。かつてスペクタクルなゲームを標榜し、具現化しながらもミランに粉砕された、クライフ監督時代からは見違えるような、リアリズムを備えたチームにバルサは到達していました。

この試合唯一のゴールは、イニエスタ、ロナウジーニョのパス交換でディフェンスの足を止めておいて、さらにロナウジーニョがガットゥーゾに絡まれれて、ディフェンスの目を奪い、さらに一瞬前がかりにさせたところからロナウジーニョのスルーパスをジュリが左足で直接蹴り込んだもの。ジュリの右から左へ流れる動きも含め、しっかり守る相手を崩すお手本のようなプレーでした。

今年の冬は、日本でバルサを見ることができそうです。

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二人の新監督

2006/04/22(土)

今日は、サンフレッチェ vs セレッソのゲームをテレビ観戦。
8節を終えて17、18位で最下位を争う2チームは、両チームとも8節を終えて監督交代という荒療治が行われたばかり。

93年に映画の仕事を終えてアメリカから帰国した後、最初の大仕事が「サッカ・コーチング・バイブル」というビデオの制作でしたが、このビデオで一緒に仕事させていただいたのが、セレッソ新監督の塚田さん、サンフレッチェ新監督の望月さんと、前監督の小野さんでした。そのころは、この3人がJの監督になるなんて考えてもみなかったですが、今更ながら、ほんとうにラッキーな仕事でした。ちなみに、横浜FCの前監督の足達さんもメンバーの一人でした。キャラとしては、理論派の小野さん、足達さん、人情派の塚田さん、望月さんということになりますが、当時から4人ともコーチングについて明確な視点と意志を持ったすばらしいコーチでした。

試合後には2人の新監督の握手する姿がうれしかったです。

どちらも上昇のために3ポイントが欲しいところでしたが、結果はスコアレスドローで、両者とも勝ち点1を追加することに。

解説の山野さんの「ウェズレイが本気になりましたね」というコメントがありましたが、怪我から戻ったウェズレイは、前半は目立った働きがなかったものの、後半はオーバーヘッド、ミドルシュートと、強引にゴールに向かう彼らしいプレーを見せてくれました。一方のセレッソは昨年新人ながら開幕先発した後、怪我で出場機会のなかった江添が、1年ぶりの先発し、この試合で唯一の現役代表である佐藤寿人、ウェズレイを相手に、しっかりと仕事をしました。さらに期待の若手である苔口も後半に投入され、そのスピードを生かした積極的なプレーが見られました。

彼らの復活と2人の新監督が、チーム、そしてJリーグを活性化してくれることを期待したいです。

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焼酎に串カツ

2006/04/21(金)

昨日は、石橋の串カツ「惚んのり」で、人生の師匠と飲みました。

実は午前中の健康診断で、「コレステロールが高い」と指摘されたばかりですが、それは気にせず、飲んで、食べて、楽しんできました。

あっさりと揚がった串カツや、一品料理はもちろん美味でしたが、何より特筆すべきは、焼酎のラインナップ。全部で100種類以上という驚きの品揃えです。しかも、「試飲」までできるので、マスターのオススメを試してみたりしながら、ついつい杯が進みます。泡盛「春雨」、黒糖「長雲」、芋「古秘」と、どれもおいしかったです。(他にも飲んだけど、覚えてない。。)

焼酎人気も、一時のブームではなくすっかり定着した印象がありますが、こうして色々な種類を飲み比べることができるのは楽しいですね。個人的には黒糖がお好みです。

「惚んのり」
http://www.suntory.co.jp/gourmet/shop/0727617011/index.html

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ジンギスカンの夢

2006/04/13(木)

前回に引き続き、申監督の思い出。

角川映画が、「蒼き狼〜地果て海尽きるまで〜」という、チンギス・ハーンをテーマにした映画を制作するとのこと。
そういえば、日経新聞でもチンギス・ハーンが連載中ですね。

ぼくにとっては、チンギス・ハーンは「申監督の夢」。

朝鮮日報には、葬儀の様子や、夫人であり、かつての韓国を代表する女優であった崔銀姫(チェ・ウニ)夫人のコメントなども掲載されており、そのなかで申監督の最後の夢が語られています。

崔銀姫は53年申監督と結婚して以来、人生の伴侶であると同時に同じ映画人として半世紀を共に歩んできた。「申監督は映画しか知らない人」という崔銀姫は「私たち夫婦の人生も映画そのものだったた。映画を取ったら他の生活は考えられない」と声を落とした。 「それでも晩年には旅行に行ったり、楽しい余生を送ろうと言っていたのに、こんな風に逝くなんて」と深い悲しみを表した。 崔銀姫によると、申監督は亡くなる直前まで申監督の芸術の集大成である力作『チンギス・カーン』の構想に余念がなかったという。

ぼく自身が映画の世界に飛び込んだのは、
アメリカでジンギスカンの映画をつくる
という仕事、夢があったから。

ウィーンでアメリカ大使館に逃げ込み、その後ハリウッドで生活していた申監督は、
欧米とアジアのキャスト、スタッフで、ソ連(当時)をロケ地にしてジンギスカンを撮る
という夢に向けて、邁進していたところでした。

ぼくも、幸運にもその夢に巻き込まれたわけですが、
そんなぼくを監督は、

ほんだは、勇敢な奴なんだ。

と評してくれました。
それまでの経歴を捨てて、申監督の懐に飛び込んだことを、そう表現してくれたのだと思いますが、今もその独特な言い回しとともに耳に残っています。

ジンギスカンという作品の夢は叶わず、
いまでは、全く畑違いの仕事をしているのですが、
そのおかげで、アメリカ、東京でダイナミックな仕事が出来たことは、ぼくの大きな財産ですし、
あのチャンスがなければ、いまのぼくはなかったのだろうと思います。

監督は、日本の宣伝のクオリティを高く評価しており、
映画のロゴは日本で作りたいとのことで、コンペを行いました。
そこで、満場一致で選ばれたのが、この筆文字で描かれたロゴです。
genghiskhan_logo_e.jpg
作者の真辺さんには、それ以来ずっとお世話になっています。
FCJAPANのロゴ、サイトのデザインをはじめ、
ぼくにとっては、最高に信頼できる、パートナーの一人。
この真辺さんとのお付き合いも、申監督が残してくれた、かけがえのない財産です。

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申相玉監督の思い出

2006/04/12(水)

今日の午前中、メーラーを開くと
申監督
というタイトルのメールが何通も届けられていました。

メールは、韓国の映画監督、申相玉がお亡くなりになったことを伝えてくれたもの。

産経新聞のサイトでも、以下のとおり報じられていました。

韓国の映画監督で北朝鮮に拉致された後、脱出した申相玉氏(79)が11日夜、肝不全のためソウルで死去した。申監督は1950年代から数多くの作品を発表してきた韓国映画界の長老で、78年に夫人の女優・崔銀姫さんと共に香港で北朝鮮に拉致されたことで知られる。  申監督夫妻は北朝鮮で映画製作をさせられていたが、86年にオーストリア経由で脱出し帰国した。夫妻の手記『闇からの谺』は日本でも出版され、北朝鮮の権力層の実態などを明らかにしたものとして話題になった。夫妻はまた、拉致が映画製作に関心の強かった金正日総書記の直接指示によるものだったことを明らかにした。
以前にこのブログでも、映画制作のことを書きましたが、申監督は、ぼくを映画の世界に導き、映画に関わる全てを授けてくれた恩師でした。

当時、すでに60歳を超えていたにもかかわらず、映画をつくることに全てを投げ出し、無邪気と言えるほどに真摯に映画に向きあっていた姿が、懐かしいです。洞窟にロケハンに行ったときなど、カメラアングルばかりに気が行って、何度も洞窟に頭をぶつけるのを後ろから必死でかばおうとしながら、「この人は、自分のカラダよりも、ええ映画をつくることが全てやんやな」と思ったものです。

ぼくがアメリカに着いた日のこと。
その日がぼくの誕生日であることを知った監督が、夜に宿まで電話してきてくれて、
「すまなかった、誕生日だということを知らなかった」
と言って、スンドゥブを食べに連れて行ってくれました。
時差ぼけの眠気と、スンドゥブの強烈な辛さと、
日本人であるぼくを、家族同然に受け入れてくれることのうれしさが、思い出されます。

安らかにお休みください。

朝鮮日報の記事はこちらから。

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タイガー・ウッズ

2006/04/10(月)

今朝のマスターズは、フィル・ミケルソンが2度目の優勝。

早朝から起きて、タイガー・ウッズを応援していました。
正確に言うと、応援というよりは、
タイガーが優勝するという、歴史的な瞬間、
あるいは、そのなかで演じられるドラマ、名場面を見たい、
ということかもしれません。

タイガーは過去に4度、マスターズを制していて、
そのうちの3回では終了後に父親のアールさんと抱き合う姿が見られました。
しかし、昨年の優勝時にはそのアールさんがガンで闘病中のため、
表彰式でのコメントで、「この勝利を父に捧げたい」と
涙をこぼした姿が印象的でした。

今年は、時折タイガーならでは、というすばらしいショットを見せながらも
調子に乗りきれず、結局3位。

まだ31歳なので、これからも当分はタイガーの演じる歴史に残る
シーンを楽しめそうです。

ぼく自身は30歳を過ぎてからゴルフを始めましたが、
タイガーのイメージを持ってプレーしていると、もともと悪い腰が
さらに悪化しそう。
タイガーは見るだけにしておいた方がいいようです。

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4月

2006/04/09(日)

この週末は関西でもようやく桜が満開。
ちょっと風があるけど、花見日和です。
ただ、黄砂がひどいですね。

昨日、夕方に会社を出たら、街の空気がどんよりと曇っていて、
最近新築のビルも多いので、光の加減かな、と思ったけど、
そんなわけなくて、黄砂でした。
おかげで、クルマもすっかり砂まみれです。

さて、4月。
我が社にも、新卒の新人がやってきました。
これまで社員の出入りの多い会社だったけども、
この新人を含め、がっちりと強い会社をつくっていきたい
と決意を新たにしています。

いくつか新しい、大型の案件もあるし、
ワールドカップもあるし、おもしろくなりそうです。

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