サッカーを語る楽しみ
会社の創業メンバーである小緑さん、細谷さんと久しぶりにサッカーを語った。2人とは宮城スタジアムの日本―トルコ戦を一緒に観たのだが、試合後、あまりのショックに呆然としてしまい、2人とはぐれてしまって以来ということになる。それにしても、試合が終わった後だからといって、はぐれてしまうなんて、今から考えると驚きだが、あの時は頭の中が、まさに真っ白になっていたわけだ。一人でシャトルバスとタクシー(何で電車じゃなかったんだろう)を乗り継いでホテルにもどったのだが、いつもは試合が終わった後に感じるはずの、試合について語り合いあいたいという気分は全くなかったのも確かだ。さらに、韓国、イタリアの激戦をホテルで見ながら、不覚にもハーフタイムに気絶するように眠ってしまい、気がついた時にはつけっぱなしのテレビに、ココの流血シーンが映し出されていた。後から思えば、大変な試合を見逃したものだが、あの日の巨大な悲しみはあまりに重たかった。
さて、2人と話していて感じたことは、「サッカー競技経験がなくても、協会関係者でなくても、見る目を持っている人が見ればサッカーを正しく語れる」ということ。小緑さんは、サッカーを語りつつ、最終的にはその選手が男としてどうなのか?という視点がすばらしい。塩野七生さんなどにも女ならではの視点を感じるのだけども、共通するものがありそうだ。細谷さんは、サッカーの話題でも理路整然と語るのを、「なるほど」と聞いていると、「とか言いながら、実はね、」という「実は」以後が理論を越えた展開で楽しい。
ワールドカップのアナウンサーや、解説者、記者のなかには、「それはないやろ!?」と思わず声をあげてしまいそうな(僕は実際に声をあげまくっていた)、人も多かったけど、情報があふれる状況であったからこそ、その人ならではの視点を持った記事の存在感は鮮明になったように思えた。ぼくが個人的に気に入っていたのは、前回大会で修羅場を経験した岡田武史さんと、サッカーに限らずライターとして確固たる地位を築いている沢木耕太郎さんと、村上龍さん。岡田さんをのぞく2人がサッカーを題材として書いてくれることは、2つの意味で価値があると思う。ひとつは、これまでサッカーに興味のなかった人がサッカーに目を向けて、サッカーを理解してくれること。もうひとつは、「サッカー関係者」が外からの刺激を受けて、今一度「サッカー界」を考えなおすチャンスが与えられているということ。今回はそれと同時に海外からの刺激もあって、こちらは外圧に弱い日本人だけに、必要以上に聞き入れていくのだろうが、サッカー界の外からの声も素直に聞ける耳を持つことはできるだろうか。
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