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2002年7月

神戸で見た日本フットサルの名勝負

2002/07/29(月)

神戸グリーンアリーナで全国選抜フットサル大会を見た。地域予選を勝ち抜いた各府県の選抜チームと、開催地代表の兵庫を加えた12チームが参加するこの大会で、優勝候補は前年度優勝の東京。日本代表をずらりと並べたメンバーを見ただけでも、期待に胸が踊る。

その本命・東京に続く第2グループは、大阪、兵庫の地元勢と、あのドゥダ、ルシアーノを擁する愛知。この4強がそろって最終日に駒を進めたことで、大会の成功は半ば達成されたといえるだろう。このなかでは、昨年は奈良のメンバーとして2位に入った藤井健太らをメンバーに加えた大阪が初日に愛知を破り、打倒東京の一番手として名乗りをあげる。

3位決定戦では、兵庫が地元開催の期待に応えて快勝。鈴村拓也が安定したプレーでゲームをコントロールし、カンカンボーイズの江藤正博らが持ち味のスピードを活かすという戦術が見事にはまった。結果的に兵庫に完敗した愛知は、今大会最も注目される選手のひとりドゥダが準決勝で2枚のイエローをもらって退場となった穴を埋めきれなかった。3位決定戦では愛知のためだけでなく、彼のプレーをぜひ関西のフットサルファンに見せたかった。その想像もできない意表をついたプレーは、フットサルを深く知らない人たちにも新しいフットサルの楽しさを伝えてくれただろうから。その技術にふさわしいメンタルを彼が備えたとき、日本フットサルの頂点という席が用意されていることだろう。

決勝戦は、まさにフットサルの魅力がちりばめられた名勝負。挑戦者・大阪が先制するが、難波田のゴールで東京が追いつく。難波田はゲームをコントロールする能力が高く、僕の個人的に好きなプレーヤーだ。関西では福角が同タイプで、これも僕のお気に入りの選手だが、今回は故障が完治せずスタンドからの観戦であった。東京は遠藤が退場となり、一人多い大阪が攻めるがゴールを割れず、間もなく選手が戻ろうという間際に稲田のゴールで大阪が再びリード。東京に傾きかけた流れを大阪が食いとめたかにみえたが、18分に前田のゴールで同点。一進一退の攻防となった前半を終えた時点では、やはり各個人の能力の高い東京が総合力で上回るかという印象。

後半は、引き続き東京が押し気味にゲームを進める。藤井健太がプレーする大阪は、安定感があり東京のプレスもさほど強くは来ないのだが、藤井が抜けると東京は一気に前線からのプレッシャーで押してくる。このあたりは、意図的なものなのかどうかは別として、藤井の存在感を改めて感じさせる光景だった。両チームとも持ち味を出し、攻め合うが延長戦に入っても勝負はつかず、PK戦は見たくないなと考えていたら、残り9.4秒で東京のゴールが決まった。 今年の全国選手権の決勝では実力上位と見られていたFIRE FOXが前半5分に小暮のゴールでリードし、それをSuerte banffが必死に攻めたてるという状況で、大会史上にのこる名勝負が生れた。このときもゴールの数は少ないにもかかわらず互いにゴール、そして勝利への意識が高く、会場全体が強烈な緊張感につつまれたことは記憶に新しい。ゴールという最高の興奮なしに、最後まで見る者を惹きつけ続けたこの2つのゲームは日本のフットサルの進化を確かに見せてくれた。

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フットサルは熱かった?暑かった?

2002/07/08(月)

7月7日、関西最大規模のフットサルトーナメント、「ニッポンハムカップ」が開幕した。1997年から昨年まで5年間開催された「セレッソ大阪杯」を継承した大会で、今年も400チーム以上が参加するビッグトーナメントだ。

この大会の特徴のひとつに、幅広いクラス設定がある。年齢別ではジュニア(小学生)、ジュニアユース(中学生)、オープン(一般)のほか30歳以上、40歳以上のクラスもある。特に40歳以上のクラスは、かなり粒ぞろいのチームが毎年参加し、なかなか味わいのある(?)大会となっている。昨年から初心者向けにエンジョイを設置、今年は子供/大人、男女混合のミックスクラスを新設して全9クラスでの開催となった。毎年決勝大会では、トップレベルのプレーとともに、小学生、中学生の必死になって戦う姿がすばらしい。ベスト4や決勝まで来ると、試合に負けて涙する小学生もいるのだが、そういう経験ができることは必ず彼らのためになるはず。大会の運営者としては、何よりの喜びであり、僕自身にとっても楽しみな大会である。

これまでは運営もしながら、選手としても毎年参加してきたが、今年はワールドカップのおかげで、自分でプレーするチャンスを逃しつづけて、完全に運動不足に陥っており、出場はしないと思っていたのだが、成り行きでこの日も参加させていただくこととなった。これまでだったら、試合がなくてもストッキングとパンツはかならず忍ばせていたものだが、この日はそれもスタッフのアルバイトから借りての出場。久々にボールを蹴って、あまりの体力の衰えと、下手さ加減にあきれてしまった。30度を越える暑さもあったのだが、やはり身体を動かしていないことが大きい。やばい、と1選手に戻って真剣に考えてしまった1日でした。

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サッカーを語る楽しみ

2002/07/06(土)

会社の創業メンバーである小緑さん、細谷さんと久しぶりにサッカーを語った。2人とは宮城スタジアムの日本―トルコ戦を一緒に観たのだが、試合後、あまりのショックに呆然としてしまい、2人とはぐれてしまって以来ということになる。それにしても、試合が終わった後だからといって、はぐれてしまうなんて、今から考えると驚きだが、あの時は頭の中が、まさに真っ白になっていたわけだ。一人でシャトルバスとタクシー(何で電車じゃなかったんだろう)を乗り継いでホテルにもどったのだが、いつもは試合が終わった後に感じるはずの、試合について語り合いあいたいという気分は全くなかったのも確かだ。さらに、韓国、イタリアの激戦をホテルで見ながら、不覚にもハーフタイムに気絶するように眠ってしまい、気がついた時にはつけっぱなしのテレビに、ココの流血シーンが映し出されていた。後から思えば、大変な試合を見逃したものだが、あの日の巨大な悲しみはあまりに重たかった。

さて、2人と話していて感じたことは、「サッカー競技経験がなくても、協会関係者でなくても、見る目を持っている人が見ればサッカーを正しく語れる」ということ。小緑さんは、サッカーを語りつつ、最終的にはその選手が男としてどうなのか?という視点がすばらしい。塩野七生さんなどにも女ならではの視点を感じるのだけども、共通するものがありそうだ。細谷さんは、サッカーの話題でも理路整然と語るのを、「なるほど」と聞いていると、「とか言いながら、実はね、」という「実は」以後が理論を越えた展開で楽しい。

ワールドカップのアナウンサーや、解説者、記者のなかには、「それはないやろ!?」と思わず声をあげてしまいそうな(僕は実際に声をあげまくっていた)、人も多かったけど、情報があふれる状況であったからこそ、その人ならではの視点を持った記事の存在感は鮮明になったように思えた。ぼくが個人的に気に入っていたのは、前回大会で修羅場を経験した岡田武史さんと、サッカーに限らずライターとして確固たる地位を築いている沢木耕太郎さんと、村上龍さん。岡田さんをのぞく2人がサッカーを題材として書いてくれることは、2つの意味で価値があると思う。ひとつは、これまでサッカーに興味のなかった人がサッカーに目を向けて、サッカーを理解してくれること。もうひとつは、「サッカー関係者」が外からの刺激を受けて、今一度「サッカー界」を考えなおすチャンスが与えられているということ。今回はそれと同時に海外からの刺激もあって、こちらは外圧に弱い日本人だけに、必要以上に聞き入れていくのだろうが、サッカー界の外からの声も素直に聞ける耳を持つことはできるだろうか。

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リヨンも雨だった

2002/07/02(火)

ワールドカップが終わった寂しさを感じながら、「ブライアン・グランヴィルのワールドカップストーリー」をぱらぱらとめくるうちに、98年リヨンでの日本−ジャマイカ戦に目が止まった。この試合が豪雨のなかでおこなわれたことをすっかり忘れていたことに気づいた。雨が降り出したのは、我々が会場入りした後で、試合が終わった時には雨もあがっていたので、濡れながら観戦したわけでもなく、雨が全く降り込まないスタンドに驚かされた記憶があるが、自分がぬれなかったために、雨中のゲームという印象が薄かったのだろう。

宮城でのトルコ戦のあとで、ジャマイカ戦につづき2大会にわたって日本の最終戦を観て、どちらも「勝てる試合やったのに」と悔しい思いをしたことで、2006年には最終戦になる可能性のある試合には行くべきでないか、とまで思ったものだが、2戦とも雨のなかという共通点には思いいたらなかった。日本は雨の中での戦いに弱い?そういえば0-5で完敗したサンドニのフランス戦も、敗戦の理由のひとつはピッチの状態の悪さだった。

賀川さんがドイツの強さを評して、カメルーン戦について話していた。「ドイツ選手は前半はぬれたピッチで、長い足を持て余して滑ってばかりいた。しかし、後半になると、足を滑らせる選手はいなくなった。試合途中で修正できるドイツの選手の調整能力はさすが」。イエローカードが16枚という荒れたゲームだったが、技術的にみれば、スリッピーなピッチへの対応は重要なポイントだったというわけだ。

日本選手の技術が世界的なレベルに達したことに異論はない。しかし、雨の中でその技術を発揮できるだけの余裕があるかといわれれば、その域には達していないということなのだろう。土ではなく、芝生のピッチで練習しなければならないと言われつづけた国の代表として、ようやく芝生上での能力を身につけた選手たちだが、雨の芝生での経験をさらに積まなければならないということだろう。中田英寿は2001年コンフェデレーションズカップのオーストラリア戦の豪雨のなかでも輝いていた。

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